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自転車のある風景  第 17 - 1 話 脳と時間と胃袋

 白くて四角い無機質な建物を背にして二人は歩き出した。
「そういえば、レストランがありましたよね」
 綾が振り返りながら言った。
「僕はこういった施設の中の飲食店ではコーヒーを飲むくらいです。大型商業施設のフードコートも苦手です」
「私もそうです」
「良い悪いの問題ではなくて、好き嫌いの話ですけど」
「私もそうです」
 階段を下りながら足元から視線を上げると、その先に続く坂道の背景にある空はどんよりとした灰色の雲に覆われていた。天気予報通りに雨を連れて来る少し湿った風が吹いていた。
「綾さん、なにか食べたいものはありますか?」
「そうですね、なにがいいですかね・・・」
「じゃあ、質問を変えます。嫌いなものってありますか?」
「納豆はダメです。パクチーや八角を使った料理も自分から選ばないですね」
「了解。今日はアジア系の食事は選択肢から外しましょう」
 章吉は案外、ポンポンと話を進める。
「章吉さんはお腹空きました?」
「まだ胃袋から合図がありません」
「胃袋からの合図ですか?」
「はい。お腹が空くと胃袋が教えてくれるんですよ」
 真面目な顔をして言う章吉を不思議そうな表情で見る綾。やがて坂道を下り切ると大通りに出た。
「帰り道は早く感じますね」
 章吉の言葉に、綾は軽く頷く。
「知らない道は遠く感じますよね。同じ道をもう一度歩くとこんなに近かったっけって思いませんか?」
「自転車の乗っていると、その繰り返しだから綾さんの言ってることはよくわかります」
 傘を持って歩く人の姿が多い。夕方までは降らないはずだけれど、最近は天気の変化が早い。まだお昼時だというのに車がスモールライトを点けて走っている。
「雨が降る前にはお店に入れるでしょう。さて、なにを食べようかな」
 楽しそうに言う章吉を、綾はまたしても不思議そうな表情で見ている。
「あの・・・お腹が空いていないなら無理をして食べなくてもいいですよ」
「いえ、いつも空腹なんです」
「・・・」
 つじつまが合わない話に綾が言葉を見失う。
「いえ、お腹いっぱいになるまで食べないし、ごはんも不規則な時間に食べるし、一日、コーヒーしか口にしなくても平気だし。複雑でしょ?」
 章吉も綾が理解してくれるとは思っていなかった。
「・・・」
「綾さんは?お腹、空いてませんか?」
「・・・お腹、減ってます」
「でもそれは脳に騙されているのかもしれませんよ」
「・・・」
「えーっと、お昼になるとごはんを食べる時間なんだって脳が判断しても、実はお腹が空いていないってことです。サラリーマンのように短いランチタイムが決められていると、今、食べなきゃって思えば尚更、脳に騙されてしまう。脳は気持ちいいと感じることと楽をすることが大好きだから」
「はぁ」
 章吉は黙って交差点を指さした。綾が見るとそこには赤や青や黄色の綺麗な自転車でヘルメットをかぶってサイクルジャージを着た3人の男性が信号待ちをしていた。
「たぶん、週末サラリーマンライダー達だろうと思うけど、みんな痩せているわけではないでしょ? 運動しているからカロリー消費もしっかりしできていると過信して、どうしても食べ過ぎてしまう傾向が強い。自転車で運動しているのにどうしてお腹が出るんだろうなぁ、おかしいなぁと呟く人はみんな、脳に騙されて食べてると思ってます」
「・・・」
 章吉のおしゃべりは止まらない。
「胃袋が空っぽになって、胃からお腹空いたって声が聞こえたとき内臓がギュッと締まる感じが気持ちいいんですよ。この快感を覚えたら、食べるものもさらにおいしくなるし、余計なカロリーを摂取する無駄な出費と脂肪が減るんですけどね」
「・・・」
 綾は言葉が見つからなかったというより、探そうともしなかった。
「あ、でもこれ、僕の勝手な持論ですから」
 章吉の楽しそうな表情から推測すると、この持論にたいそう自信がある様子だ。
 綾にとっては、自転車に乗っている男性の格好や体型には興味ない。言われてみれば、今、一緒に歩いている男性の腰回りはスッとしている。
「油もの、大丈夫ですか?天ぷらやトンカツ、です」
 胃袋からの合図がないって言ったばかりなのに章吉はガッツリ系の食事内容を言う。
「え? もう胃袋の合図があったんですか?」
「いえ、ハンバーガーなら3つはいつでもおいしく食べられます」
 章吉はカラカラと笑う。
「自転車の乗っている人って、そんな感じなんですか?」
「いや、そんなことはないと思いますが・・・」
 章吉はちょっと意味不明なことを喋り過ぎたかと反省していた。

・・・次回は7月10日・・・







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