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自転車のある風景 第 11 - 2 話 恋の嵐

 コンクリートの上で跳ねる雨と同じくらいに私の心臓も高鳴っている。
「ずっとお礼が言いたくて。あの、良ければ、時間があれば、その、コーヒーでも、あの」
 うまく言葉がつなげない。
「そうですね、雨が上がるまで待ちましょうか」
「ここを出て左に進めばすぐカフェがあります」
「わかりました」
 彼は見ていた料理本を持ってレジへと向かった。私は先に外へ出る。
「この雨が上がるまで・・・か」
 ビルとビルの間から見える細い空に向かって、しばらく真っ黒でいなさいと指をさして命令をする。
「お待たせしました」
 私たちはゆっくりと並んで歩きだす。
「コンビニで料理本を買う男性を初めて見ました」
「料理するのも気まぐれ、本を買うなんてもっと気まぐれ。大きな本屋で思いだしたようにこの手の本を探すのは手間だし、どこで買っても価格は同じ」
「でも、本屋さんって、その手間や時間が楽しくないですか? 偶然に素敵な本を見つけたときは嬉しくなる」
「本は好きなんですか?」
 その質問は困る。純文学もエンターテイメントも、エッセイも漫画も、ビジネス書も写真集も、本。
「嫌いではないです」
 彼がちらっと私を見た。鼓動が聞こえないかと心配しながら、真っすぐに前を見て歩くだけで精いっぱいの私の表情が穏やかなはずはない。
「カレーは好きですか?」
「はい、大好きです」
「この質問のほうが端的に答えやすいですよね」
 この人は人の表情をよく見てる。
 ドラッグストアからクリスマス定番の曲が流れてきた。
「この歌、1983年発売なのにまだまだ現役。この先、いつまで流れ聞こえてくる歌だと思いますか?」
「わかりません」
 そんなこと、突然聞かれても困る。
「この歌は好きですか?」
「嫌いではないです」
 サンタクロースを信じなくなってからは、クリスマスには輝かしい思い出もなければ、悲惨な思い出もない。
「ワインは好きですか?」
「はい、お酒は大好きです」
 彼がくすくすと笑う。
「自転車は好きですか?」
「わかりません」
 生活の道具にしか過ぎないモノに好き嫌いの感情があるかないかなんて考えたことがない。
「こうして一緒に歩いているのは、その自転車が取り持った出会いですけどね」
 それは間違いないけど、違う。違うけれど、また出会えたのは私があなたを探していたからですって、あらためてここで言うと空気が固まってしまいそう。
「そうですね。あのときはありがとうございました」
 自分の気持ちを隠したいがために機械的に無機質な返事をしてしまった。かわいい女の子ならもっともっと楽しそうな顔をして、もっともっと優しい言葉を並べるんだろう。そんなことができたら、私は、今、どこかのクリスマスパーティーでシャンパンを飲んでいる。
 思った通り、少し困った顔をする彼がいる。でも謝るようなことは言っていないし、いきなり笑顔を振りまいて、声のトーンを上げて話をするのも不自然。
「あ、でもあの日、帰宅してから自転車の掃除をしました。変な音も小さくなったし、取れない汚れもあるけど、少しは綺麗になりました」
「自転車は生活の道具ですよ。でも自分より軽い乗り物であんなに速く走れる乗り物は他にはない。ということは走っている間は常に危険と隣り合わせなんだってことを忘れている人が多すぎる。だからちゃんとメンテナンスには手間と時間をかけないといけないんだけどね。今日みたいに雨の日は、本当は自転車に乗らない方がいい」
「そうなんですね」
「お世話になった自転車屋さんに預けっぱなしで、明日、今年のラストランの約束をしていたことを忘れていて。仕方なくこの寒空の下を自転車で走る羽目になりました」
「通勤は電車ですか?」
「もう一台、小径車を持っていて、それで通勤しています。引っ越しをしてからその子ばかり乗っていて不自由がなかった」
 引っ越しをしていたんだ。だから会えなかったんだ。今宵は、気まぐれな占いが二人を巡り会わせたってことになる。
「自転車は止まっている時間のほうが長い。ほら、目の前に乱雑に並んでいる自転車、これがきっちりと並んでいるだけで自転車に対するイメージは大きく変わるのに残念だよね」
 しかも、こんな窮屈な道路だと停まっている自転車は歩行者の邪魔でしかない。
「そうですね」
「道具って使えば使うほど愛着がわく。だから、自転車も一緒なのに」
「あ、そういえば赤い自転車は?」
「この先のショッピングセンターの地下にある駐輪場に置いてあります。さて、到着しましたよ」
 彼の背中を見ながらコーヒーの香りが漂うお店へと入った。もう少し喋るのはいいけれど、今日の会話の着地点はどこにしようかと迷う。
 窓際の席に座り、伝い流れる雨を眺める。二人ともカフェオレを注文した。
「さてと、まずは自己紹介からですね。名前も知らない二人がいきなり喫茶店で向き合っているなんて不思議なことですね」
 偶然と呼ばれる出来事はなくて、最初から全部決まってると思ってる。
「僕は章吉、文章の章に、おめでたい吉」
「私は綾。あやとりの綾です」
「今日はお声がけ、ありがとう」
「いえ、こちらこそありがとうございます。急にお誘いしてごめんなさい」

 知らない同士が偶然に出会って、今このとき、この場所から始めたい。
 オフィスの窓の灯りがひとつひとつ消えていく。
 雨も止みかけたこの街に新しい夜がやってきた。


・・・おわり 次回の作品は07月10日掲載予定・・・

 散走のかたちは人それぞれ。いろいろな人が、好きなスタイルで、ゆっくりとペダルをまわすその時を楽しんでいます。
 OVEのオリジナルストーリー。この主人公たちは、あなたのまちにいるのかもしれません。


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