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自転車のある風景 第 10 - 2 話 いつもの風景

 自転車で車道を走る。毎日、激しく行き交う車やオートバイに神経をすり減らしながら、走る。
 踏切こえて、川こえて、環八こえて。
 右も左も同じ顔、寄り道なんかできない。
 いつもの走り慣れた道でも、人が運転している乗り物同士、お互いに気を付けているとしても、いつ、どこで、どんな事態が起こるかはわからない。

 目の前で手を上げている男性は俺とハイタッチがしたいわけではなく、タクシーを止めたい意思表示。だから、後方から走ってくるタクシーが追い抜いた途端に歩道側に寄って進路を塞ぐかも知れない。
 ハザードランプを点滅させて止まっている車に、運転席にはお母さんかな、助手席には小学生くらいの男の子がいる。すぐそこには地下鉄の出入り口、通学時間、これは助手席側のドアが開くかも知れない。
 朝の通勤渋滞の中、不自然な車間距離を保つ車がいる。携帯電話の操作に気を取られて前を見ていないのか、若しくは、その車の前を遮るものがあるかも知れない。

 この「かも知れない」運転は自分の身を守る上で必要な考え方。緊張するのはいいことだ。
 歌を口ずさみながら、ただ声に身をまかせ頭の中を空っぽにしたいんだけれど、結構、頭と神経を使いながら走っている。

 自転車通勤を始めてから半年、筋肉痛も完全になくなり、今までお尻が窮屈だったジーンズに余裕ができて、気になり始めていた下っ腹の脂肪が少なくなった。
 この前、先輩と自転車置き場で会ったときに自転車乗りの体型になったなと言われた。そら見たことかと言わんばかりの表情で俺を嬉しそうに見たことが悔しいけれど、自転車乗りの体型云々は別の話として、明らかな身体の変化や、見た目だけではなく血管年齢も実年齢より若いと診断されたことは、まぎれもない嬉しい事実。
 継続は力なり。よく走っているな、偉いぞと、自分で自分をいつも褒めてやる。
 ランニングと違って自転車は乱れた呼吸や心拍数やくたばりそうな気持ちが楽チンになるまで、疲れた脚を止めたとしてもカラカラと前へ進める。走るよりも楽に速く移動できる当たり前なことがありがたく思えるようになった。

 鼻を抜ける空気が少し冷たくて新緑が揺れるくらいの追い風の中、緩やかな下り坂を、普段より重たいギアを選んで足の回転をゆっくりとして乗っているときは、それが都会のど真ん中であったとしても、自然と一体になれた気がして清々しい。
 逆に車体がふらつくほどの強い向かい風だと、平坦な川沿いの自然あふれるサイクリングロードでも峠を登っていくときと同じように我慢しながらペダルをひたすらまわすことに専念することになる。

 自宅アパートの敷地内にある小さな庭で、ぼんやり雲が泳いでいく青空の下、ビール片手に好きなミュージシャンの歌を聞きながら、何回もあれこれ手間取りながら自転車のメンテナンスをする午後、まったりとした時間に甘え、脳も身体も日々の緊張から解放された自分がいる。

 そういえば、あの晴れた日に出会ったあの女性はまだガタガタ、ギシギシと道具としては立ててはならぬ音がする自転車で通勤しているのだろうか。もう一度くらいばったりと会ってもよかったかな。
 でも、この街とももうすぐお別れだ。今のアパートが建て直しをするために引っ越しをしなければいけない。どうせ引っ越しをするのだから、会社から同じような距離にあって、方向もまったく違う街に住んで、また新しい通勤ルートで新しい発見が楽しめる。

 今日は帰りにお世話になった自転車屋さんに愛車を預けて最後の点検をしてもらう。引っ越しをした先の自転車屋さんも紹介してもらった。
 自宅まで5kmくらい、今日は歩いて帰ろう。


・・・おわり 次回の作品は05月10日掲載予定・・・

 散走のかたちは人それぞれ。いろいろな人が、好きなスタイルで、ゆっくりとペダルをまわすその時を楽しんでいます。
 OVEのオリジナルストーリー。この主人公たちは、あなたのまちにいるのかもしれません。



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