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自転車のある風景 第 9 - 2 話 RING!RING!RING! 

 思いがけず、街を自転車で走ることになってしまった。電話でひと言あればもう少し動きやすい服装にしたのに、彼は私がスカートをはいてくる姿を想像さえしなかったのかも。
「行くよ。ついてきて。同じクロスバイクだから大丈夫でしょ? なにかあったら大声出して」
「わかった」
 道路の横、覆う高いビルの間を息をつめて走り抜ける。緊張感から脈拍数も上昇、暑い。
 考えてみれば自分の自転車は自宅からスーパーマーケットか駅までしか乗っていないから、こんな風に街を走った記憶がない。
「大丈夫か?」
 彼が何回も声をかけてくれるけれど、なにが大丈夫なのかって聞いているのかわからないから「うん」としか言えずにひたすら脚を廻している。

 自分の呼吸にようやく意識が向き始めると、先を横切る大きな道路は環状八号線なんだとわかるくらいに、景色がやっと目に飛び込んできた。
 歩行者用の青信号が点滅をしている。
 彼は少しずつスピードを落とし、歩道の縁石に足をかけて振り向いた。
「ちょっと休憩しようか?」
「大丈夫。少し、この自転車に慣れてきた」
「わかった。ここを左へ曲がって10分くらい走ると大きな公園があるからそこで休憩しよう」
「ねえ、どれくらいの時間、走ってる?」
「まだ15分くらいだよ」
 驚いた。もうここまで来たんだ。

 いや、でも、初めて乗る自転車でこんな都内の交通量の多い道路をいきなり走らせるのはどうなのよって考えられる余裕も出てきた。
 前の日から準備して、早起きして、クワガタがささるようなのんびりとした道を、風を切って、調子に乗って鼻歌でも歌いながら走るのなら、だいたいのことは許す。
 今日は、緊張しているからこの自転車を充分に楽しめない気がする。もったいない。

「ありがとうございました。楽しくて刺激的な一日になりました。またお伺いします」
 夕方、もう18時を過ぎた。「今日は野菜がいっぱい食べたい」と彼が急に言い出したから、立ち寄ったデパートの食品売り場はもう買い物客でごった返している。
 青くて柔らかそうなレタスとトマトを3つをカゴに入れる。
「じゃがいもは? にんじんは? 」
「そやなぁ」
「っているの? いらないの? 」
「さっきとは打って変わって強気なんだから」
 朝からなにも食べていないって思いだしたら急にお腹が空いてきたから少々、短気になってる。
「カレーはあなたが作るんでしょ。必要な物は自分で取ってきてね。私はサラダ担当だから」
「了解。じゃあ、ちょっと取ってくるね」

 こんな私だって今を生きる強いガールズ、自転車っていいじゃないって思わせようとする彼の策略に、まんまと乗ってやろうじゃないの。
 東京中を走ろう。
 人形町でたい焼き食べて
 月島でもんじゃ焼き食べて
 京浜島で飛行機のお腹を見よう

 きっと自転車がある生活って、ただ過ぎていく時間だけでも、何かが変わるし、いつかは変わる気がする。
「そうしよう。ん、そうしよう」
 どのポケットも思い出でいっぱいにしよう。
「大きな独り言だね。じゃあ、そうしようか」
 知った風なことばかり言う、私のことはまだなにもわかっちゃいない、この彼と一緒にたくさんの思い出を作ろう。
「一緒にね。いろんな話をしようね」
 彼は、なにを言ってるのでしょうかって顔で私を見た。
「私、まずは自分の自転車をきちんと整備してあげようって思ってる。あのクロスバイクでも雨さえ降らなければ、気持ちよく走れるわよね」
「そういうことか」
「そういうこと」
「晴れたらいいね」

・・・おわり 次回の作品は03月11日掲載予定・・・

 散走のかたちは人それぞれ。いろいろな人が、好きなスタイルで、ゆっくりとペダルをまわすその時を楽しんでいます。
 OVEのオリジナルストーリー。この主人公たちは、あなたのまちにいるのかもしれません。


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