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自転車のある風景 第8-2話 雨やどり

「お手伝いしましょうか?」
 声がした方向を見ると、少し離れたところでチノパンに白いコットンシャツ姿の男性が私の様子を窺っているけれど、太陽を背にしているから顔がよく見えない。
「あ、」
 慌てて立ち上がった私が返事をする前に、その男性はグローブを外しながらこっちへ向かって歩いてきた。
「代わりましょう」
 近くまで来て顔を見たとき、はっきりと知らない人だとわかった。
「はい」
 私は断ることもできず、一歩、後ろに下がって男性がすることをずっと見ていることなってしまった。
 男性はすっとしゃがむと落ち葉を拾った。
「?」
 後輪の変速機を持ってチェーンをたるませて、拾った落ち葉でチェーンをつかんでギアの下の歯からに一番上の歯くるまでチェーンをかけると、今度は変速機を離して自転車を持ちあげて後輪を浮かした。そしてペダルを持ってクルっと回した。
「カシャ」
 さっきよりも軽く優しい音が聞こえ、そのあとにギシギシと軋みながら回るチェーンの音が聞こえてきて少し恥ずかしくなった。
 立ち上がった男性はグローブを外しながら私を見た。
「もう大丈夫です」
 そのとき、私は初めてその男性を正面からしっかりと見た。年の頃は私より少し上、よく日焼けをした笑顔がとても凛々しく感じたけれど、前歯から右に4本目に虫歯があった。
「これ、使ってください」
 私は鞄の中からスヌーピーのハンカチを差し出した。
「いえ。そんなに汚れていないし、返す機会もないだろうから、いいですよ」
「あ、そうですよね」
「お気持ちだけ頂いておきます。ありがとう」
 違う、違う。お礼を言わなければいけないのは私だ。先に言われてどうする。
「いえ、こちらこそありがとうございました」
「いい自転車だけど、あちこちずいぶん調子が良くないから軽快に走れないでしょ。自転車屋さんで点検してもらったほうがいいですよ」
「え、はい」
 私はちらっと腕時計をみた。遅刻はしないで済みそうだ。
「では、これで」
男性はポケットからグローブを出した。
「あ、はい」
 見送った小さなお尻に細い脚、肩幅の広い背は真っ直ぐに伸びていた。街路樹に立て掛けてあった赤い自転車に乗って颯爽と走り去って行った。

 ギシギシとうるさい自転車を走らせる。思い返せば、きっと3分間もしないくらいの出来事だった。広い背中と日に焼けた顔が頭に浮かぶ。私は満足にお礼も言えなかったし、感謝いっぱいの態度じゃなかった。こんな自転車に乗ってあんな態度では、人の視線も気にしない無神経な女だって思われてもしかたがない。手伝って損をしたなんて思われていたら私が惨めになる。
「もう一度、ちゃんとお礼を言わないと」
 先の信号で追いつかないかと脚に力を入れようとしたけれど、冷静に考えると追いつけるはずがない。それでも、駅のホームの人混みに彼を探すけれど、やっぱり見つからなかった。
 神様を信じるわけではないけれど、そこは苦しいときだけの神だのみ。
 もしも、もしも、できることなら、あの人にもう一度会わせてください。
 胸の前で手を合わせて空を見上げた時、そういえば、こんな歌があったような気がした。

・・・おわり 次回の作品は01月10日掲載予定・・・

 散走のかたちは人それぞれ。いろいろな人が、好きなスタイルで、ゆっくりとペダルをまわすその時を楽しんでいます。
 OVEのオリジナルストーリー。この主人公たちは、あなたのまちにいるのかもしれません。


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