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わたしの散走STORY 第3話


「こんなに止まるなんて思ってもみなかったわ」と妻がヘルメットを脱ぎながらぽつりとつぶやく。「ほらごらん。これは東洋一の邸宅とも称された旧前田伯爵邸。旧加賀前田家の第16代当主、前田利為の本邸として1929年に建造されたんだけどこの車寄せも立派だね」とカメラを取り出してパチリ。「じゃあ次は銀座に向かおうか」と言うと、「え?中には入らないの?」と妻が言う。「今日は建築を旅する散走だ。中の見学はまた今度」とサドルに腰をかけてペダルをこぐ。急ぐ必要はない。建築はいつでもそこで待っていてくれる。

本職はグラフィックデザイナーだが、仕事が落ち着いてきた40代頃から建築物を写真に収めたコレクションを趣味として楽しむようになった。私が住む東京には近代建築がたくさん残っている。しかし難点は、点在する場所をつなぐ移動が不便なこと。1箇所に見たい建築物が集まっていることは少なく、半日をかけてせいぜい2箇所程度というのが多かった。そんなときに知人から教わった「散走」で、私は自転車の楽しみ方に出合う。そうか、自転車ならもっと自由に移動できる。何なら移動しているときに、知らなかった建築物を発見できるかもしれない。私の胸は躍った。妻に軽快なクロスバイクの購入を許してもらい、私の建築物コレクションの画像はどんどん増えていった。

「あなた、ちょっと待って。止まって」と後ろを走る妻が声をかけてきた。ブレーキをかけて振り向くと、妻が立ち止まって何かを見上げている。


「このビルすごいわね。こんな建物があるなんて知らなかった」「ああ、これはアルファ・マトリックスビルと言ってね、この外側はステンレスなんだ」「圧倒されるデザインね」と言いながらスマートフォンを取り出して写真におさめていく。「珍しいな、初めて建物を写真に撮ったんじゃない?」と言うと「こういうの、好きかも」とふふっと笑う。「さあ、次の目的地まであと少しだ」と改めてスタート。「銀座で美味しいものを奢ってくださいよ」と背後から妻の声が聞こえてくる。その声はどこか弾んでいるような気がした。

1人でめぐる建築散走も楽しいけれど、たまには2人で会話をしながら走るのも悪くない。今度はカメラを買いたいと言い出すのではないかと思い巡らせながら私はペダルを踏み込んだ。

【Fin】

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散走のかたちは人それぞれ。いろいろな人が好きなスタイルでゆっくりとペダルをこいでその時だけの時間を楽しんでいます。OVEのオリジナルストーリー。この主人公たちは、あなたのまちにいるのかもしれません。


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