レポート キタク散走
東京都北区(と板橋区の一部)をぐるりと巡る散走。
集合場所の赤羽で聞いてみると、参加された方は遠い方はもちろん、ご近所の方でもあまり降り立つことのないエリアであるということに、あらためて驚きを感じつつ、この日のOVE散走はスタートしたのでした。
赤羽・十条・王子。京浜東北線が北へ向かってまっすぐ走るこのエリアは武蔵野台地の東の端を荒川(隅田川も含む)が削ってできた崖のような地形と石神井川をはじめとする河川が削って出来た谷で作られた複雑な地形も特徴の一つです。上り下りする坂は急なものが多く、ところどころにある緩い坂を探して走らないとあっという間に消耗してしまいます。e-bike/電動アシスト自転車で電気の力を借りつつ、わざと急坂にチャレンジすると、よりよく地形を理解できるかもしれません。
というわけで、散走では緩い坂を探します。こういう時は幹線道路や、その近くでそれなりに車が通るべく作られた道が便利。長めだけれどもゆるく、曲がりながら上っていく坂の上にたどり着くと、ガラス張りの建物が道路の左右に並んでいました。
東洋大学赤羽台キャンパス。開設して10年目のキャンパスにはこの3年ほどで新しい校舎が続々と完成。学部の移転や新学部の開設が進んでいます。「今風」の建築の脇に作られた並木道を通り抜けると、台地の上には新しい集合住宅が連なっています。
赤羽台団地と呼ばれていたこのエリア「ヌーヴェル赤羽台」と名前を変え、高層の集合住宅が立ち並ぶ、新しい「街」を形成しています。
この土地には戦時中までは陸軍の被服本廠(軍服の製造をする組織)があり、戦後には米軍兵器補給廠に接収され「赤羽ハイツ」となったのです。その後返還された土地に団地が建設されることになりました。
団地の中を抜けると、赤羽台団地時代に建てられて国の有形文化財に指定された3棟のスターハウスの脇に出ます。スターハウスは「ポイントハウス」と呼ばれる住宅の1形態で、団地などでいわゆる直方体の建物(板状住宅)でを連ねただけでは埋められない余剰地に建て、かつ単調な板状住宅の行列という景観にアクセントを与える目的で、昭和20年代末期に登場した、上から見るとY字型で各階に3戸、5階建ての集合住宅です。30年代に全国の団地で建設されましたが、コストがかかること等が原因で昭和30年代の終わりには1フロアに2戸、真四角のボックス型に取って代わられることになりました。
本家、URのサイトのストーリーを読むと、よりスターハウスを知ることが出来ると思います
スターハウスの脇から赤羽台の端の道に出ると、眼の前の谷戸があります。谷地の深さと向かいの台地を上る激坂が印象的。ここで景色を眺めながら水分補給。谷の上流側にある赤羽自然観察公園の脇に沿って進み、北側を並行する幹線道路(都道445)に出ると、その北側には昭和がそのまま残っているかのような団地が並んでいました。都営桐ケ丘団地。
こちらは陸軍の赤羽火薬庫があった。もともとは、倉庫どうしが誘爆しないように土手で仕切られた、変わった風景が見られました。
この桐ケ丘団地は完成時5000戸(赤羽台団地は3500戸)の大型団地だったそうですが、現在は隣の赤羽台団地と同じく老朽化が進んだため建て替え、そして新たなまちづくりが進んでいます。
が、道路から見える団地は昭和の風景そのもの、道路沿いの1階部分には商店が連なっていて、通路に掲げられた看板に見られた「昭和27年から皆様と共に」という文字が目を惹くのでした。
桐ケ丘団地を離れ、まっすぐ南に向かう道を走ります。道には「ROUTE2020トレセン通り」という標示がところどころに観られます。あの2021年に行われた2020イベント(←権利の問題で名称を記すことが出来ないようです)に関連する通りであることが伺いしれます。
道路の左側端にはしっかりとブルーの帯=「普通自転車専用通行帯(自転車レーン)」が引かれ、路駐もなく、予想されていた向かい風も弱かったため、快適に走ることが出来ました。
歩道にはランニングをする人々の姿がちらほら。一般の方のジョギングと思われるものからアスリート(学生も含む)と思われる人達がトレーニングで走っている姿も見られるのです。
北区は「トップアスリートの街」を標榜していて、北区所縁のアスリートを「スポーツ大使」に任命したり、区内に校舎のある大学と連携して2020イベントを盛り上げる企画をするなど、スポーツに力を入れているなと、道を走っていても感じさせられるところがありました。
その中心となっているのが、「ナショナルトレーニングセンター」「西が丘サッカー場」「スポーツの森公園」など西が丘周辺にあるスポーツ施設です。(前の2つに関しては現在命名権を食品企業が持っています)
ちなみにこのエリアは、東京陸軍兵器補給廠→東京兵器補給廠(米軍)→競技場という変遷を経ています。
ハイパフォーマンススポーツセンターの前にあるNTCのオブジェ前で記念撮影
西が丘から坂をサーッと降りると環七通り。そこを超えて右手に折れると帝京大学の立派なキャンパスが現れます(ここは板橋区)。
キャンパスの中の通路を自転車で押して通り抜けます。学内に名前の知れたファーストフード店やカフェ、コンビニが並んでいるのは、イマドキの学校では普通なんだろうなと、オジサンはちょっと驚いたりするのです。
帝京大学を抜けると石神井川が右手に流れています。道を間違えてしまいちょっと川から離れてしまいましたが、慌ててリカバリー。次の目的地は石神井川沿いにある「加賀公園」。
帝京大学のあたりからずっと住所が「板橋区加賀」だったのですが、加賀前田家の下屋敷があったことからついた地名なのです。加賀公園はお屋敷の庭の築山の部分。その築山の西斜面にはコンクリートとレンガで作られた構造物。隣の敷地もなんかレトロな雰囲気を醸し出しているのです。
じつはここは戦時中に兵器の火薬を製造していたところ(東京第二陸軍造兵廠板橋製造所)で、築山の構造物は火薬の性能を測定するための標的だったのです。
ちなみにこの築山、周囲には桜の木が沢山植えられており、桜の季節の花見にはとても良さそうな場所なのでした。
続いて、石神井川を少し走ってから脇にそれて、北区中央公園に入ります。すると、突然昭和初期のものらしき白亜の建築が目に飛び込んできます。ちょうど徒歩でツアーをしている集団もいて、彼らは建物の中に入っていきました。文化センターとなっているこの建築は、もともと旧東京第一陸軍造兵廠本部だったもの。当時の外壁は茶色のタイルだったのですが、米軍に接収された際に真っ白に塗られたとのことです。
建物の脇には、東北・上越新幹線の工事の際に赤羽台で見つかった古墳の石室部分や、砲兵工廠銃砲製造所のボイラーなどが移設展示されていて、普通の公園なのに普通の公園とはちょっと(かなり)違う雰囲気を醸し出していたのでした。
公園をそのまま通り抜けると(公園内は自転車乗り入れ禁止のため押して通りました)、眼の前が突然開けます。そこにあるのは自衛隊の十条駐屯地。
ときおり敷地内を走っている隊員の方を見かける以外は広く、静かなところです(おそらく休日の朝だからでしょうか)。実はこの十条駐屯地、一般人が通路として利用できる小道が端の方にあるのです。入口の禁止事項を読み、自転車の通行は禁止されていないことを確認したうえで、通行します。整然と並ぶ建物と広々とした道路。雑然としたところのない凛とした空気を感じさせる空間を見ると、なんとなくこちらも気が引き締まるのでした。
そのまま基地の正面に出て、基地沿いに進んでいくと、図書館に通じる公園にたどり着きます。子供たち(というより赤ちゃんが多い)が遊んでいる広場に入ると、広場と駐屯地の境目に赤レンガで組まれた昔の変電施設のファサードだけが取り残されているのです。赤レンガの前で記念撮影。背景にある駐屯地と真っ白な建築と、手前の赤レンガが妙にマッチしているのでした。
このレンガのファサードの説明に、「オランダ積み」だという説明があったのですが、適当な説明が見つかりませんでした。
このサイトを見ると、レンガの積み方はよくわかるので、ご参考まで
ふたたび石神井川に戻ります。埼京線の線路をくぐり、音無親水公園のちょっと「江戸」っぽい雰囲気が見えてきたら、そこは王子の街。駅前の飲み屋街を抜けてから京浜東北線の線路をくぐり、北区の複合文化施設「北とぴあ」に立ち寄ります。そのまま17階に上がると、南・東・北が見渡せる展望室!南北には線路が、東には川がよく見えます。
「西は見られないのか!?」
というわけで、ランチの時間。西側が見渡せるレストラン「QUAD17」に入ります。西がわの景色を見ると、真ん前にどーんと富士山が見えるたのです!
そこからは、じっくり時間をかけてフルコースを楽しみながら(ちょっと時間かかりすぎた)のランチタイム。
食後は王子から十条に向かって線路の西側を走ります。大晦日には東国の狐が集まってくるという王子稲荷。突然現れる雄々しい滝に心洗われる気分になる名主の滝。その先にあるトンネルに入ってじわじわと坂を上ると、図書館の脇に出るのです。そのまま十条の駅に向かいます。
踏切を渡って十条駅のロータリーに入っていくとその脇にあるアーケード。「十条銀座」と書かれた商店街に入っていくと「これは入ってみたい!」という店が目白押し。ワイワイガヤガヤした雰囲気と通路の適度な狭さも気分を盛り上げます。
ずっと続く商店街ですが、途中で脇に入って踏切を渡り返し、演芸場通りと書かれた通りを進みます。パレスチナ料理の店や、南アジア料理の店がちらほら。道ゆく人の中にも外国人が増えている気がします。演芸場通りなのだから当たり前かもしれないけれど、狭い通りの途中で突然現れた篠原演芸場の大きさには、ちょっと圧倒されるのでした。
台地の端まで行くと長い下り坂。ハラルフードの店が目に入りましたがそのまま坂を転がっていくと、東十条駅。さらに坂を下ると下り切った角に和菓子屋さんがありました。外に行列が出来ているそのお店「草月」は黒松というどら焼き(生地がちょっと特殊)が有名な店。。。
意外と並んでいなかったので、スタッフが買い出しをすることになり、一人を残して先に進みます。
東十条にはバングラデシュ人のコミュニティがあり、リトルダッカと呼ばれています。街にはモスクもあります。線路沿いに走っていくと「プリンス・フード・コーナー」という小さな店が現れます。ここで、どら焼きを待っている間に「食後のチャイ」をいただくことにしました。
店内には小さなテーブルがあって、食事をしている日本人がいます。店の前には野菜や果物が売られ、端のほうにはスマートフォングッズらしきもののショーケースもある。そしてどう見ても南アジア料理の店というたたずまいなのに、店の外壁に掲げられた看板には「牛タン定食」から「チキンハンバーガー」などなど、多種多様な料理が並んでいるのです。「なんでも作れるよ」と気さくに説明してくれたシェフ、実は日本に来る前にはバングラデシュの五つ星ホテルでシェフをしていたのだと、ネットの記事には書かれていたのでした。今度東十条に来ることがあれば、なにはなくともこの店でご飯を食べたい。そう思って店をあとにしたのでした。
東十条駅の北口からまっすぐ伸びる道も商店街。北区には商店街が沢山あるのです。左右の店をみながら進んでいきます。街は、バングラデシュ人に限らず多国籍化が進んでいるようで、その中を巡っているとそのうち、いろいろな人が入り混じっているのが、当たり前のことに思えてしまうのです。
国道を渡ると商店街は終わり、そのかわりに大きなマンション群が現れました。その中を抜けると隅田川を渡り、荒川の河川敷にたどり着きます。
長い上り坂をゆっくり上っていくと、視界がどんどん開けていきます。土手の上に着くと、近くにそれほど高い建物がないこともあり、360度風景を見渡せるのです。眼下には荒川が流れ、河川敷にサイクリングロードが延びています。
土手を降りてサイクリングロードに合流したら、岩淵水門までは自由に走ることにしました。午前中、南下するときには弱かった南風が、いまはしっかりと背中を押してくれます。風に乗って自転車で進んでいると、これがまさに風になったような気分なのです。我を忘れて張り切りすぎて、赤羽水門で大休憩。ここで黒松を...と思っていたのですが、みなさんまだまだお腹いっぱいのようで、黒松はお土産に持ち帰ることになりました。
水門の先から土手を降りて新河岸川を渡り、赤羽の街へと向かいます。そんな我々を待ち受けていたのは「赤羽一番街」。真昼間から飲み屋に出来る長蛇の列。交差点のど真ん中で呼び込みをする居酒屋のお姉さんと、それに応じる若者たち。北の赤羽、南の蒲田。京浜東北線の東京都両端の駅はどちらも呑兵衛天国なのでした。
そんな一番街を抜けるとそこは赤羽駅なのですが、もうひと回り。カトリック赤羽教会を眺めに行きます。数々のドラマのロケ地となっているこの教会、たぶん人それぞれ思い起こすドラマは違うはず。(全く興味のない人だって、当然いるに違いない)
散走だってそんなもの。同じ時間を共有していても見えているものは違ったりする。みんなでワイワイ走っていると、自分では気づかなかったものが見えてくる。グループライドの楽しみというのは、そういうところにあるのかもしれない、と教会を見ながら思ったのでした。
赤羽駅東口から通路を通って西口に回り、朝集合した場所に戻りました。それぞれの街にそれぞれの顔、それもいろんな顔がある事がよくわかり「地元ももう少し走ろうかな」と思うと同時に「次はどこの街に行こうかな」とも思える散走なのでした。