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「呼ばれる才能」に恵まれた建築ウォッチャー 川畑博哉さん


OVE散走ファンには「建築散走」の講師としてお馴染みの川畑博哉さん。本業はグラフィックデザイナーで、主として雑誌や書籍のエディトリアルデザインに携わっています。その一方でwebサイト「All About」のコンテンツ「建築家と家を建てる」のガイドを務めるほどに建築に詳しい川畑さんに、そのバックグラウンドから聞きました。

「もともと基本的に建築が好きだったんですよ。僕自身、もう少し数学ができたら建築科に進んでいたと思います。でも残念ながらその方面が弱かったのと(笑)、むしろグラフィックのほうに興味を持つようになったこともあって、武蔵野美術大学の視覚伝達デザイン学科に入りました。難しい名前の学科ですが、平たくいえばグラフィックデザイン科です」

川畑さんは卒業後、個人のデザイン事務所に入社して中央公論社の『暮らしの設計』や文藝春秋の『くりま』、国立民族学博物館の機関誌『季刊民族学』などの雑誌のデザインにスタッフとして携わり、10年後にデザイナーとして独立します。現在もメインの仕事はグラフィックデザインですが、近年は「All About」の仕事の比重が徐々に高くなっているそうです。

「グラフィックデザインを勉強している間も、デザイナーとして働くようになってからも、建築を見ることが一貫して大好きでした。建築に惹かれる理由は、やはり『空間が持っている力』でしょうか。独得の空気があって、それが建物によって全部違っているんです。新しい建築に出合うたび『よくこういうものを造ったなぁ』という驚きを感じています」

グラフィックデザインは二次元、建築は三次元ですが、ともに広い意味のアートで、お互いに影響を及ぼしているはずです。その一方で、建築は構造計算といった数学的・工学的な要素が欠かせないという点で、他分野のアートと大きく異なるようにも思えます。せっかくの機会なので、建築の位置づけを川畑さんに聞いてみましょう。

「実は、日本は地震国ということもあって構造がすごく重要視されます。残念なことに日本では建築はアートではなく、むしろ工学に属するものと考えられているんですね。アートとしての建築科があるのは東京藝術大学や、僕の母校の武蔵野美術大学や多摩美術大学などの芸術系の大学くらいで、あとはおしなべて工学部でしょう。ところがヨーロッパに行くと逆で、建築は最初からアートに属しているんですよ」

ヨーロッパでは「美しい建築を造りたいから、実現可能な構造を」と考えるのに対して、日本では「この構造を採用したいから、形はこうなる」と考える…それは大きな違いです。では芸術系の大学を出た建築家は例外的ということでしょうか。また、アートとしての建築では構造の問題をどのようにクリアしているのでしょうか。

「芸術系の大学を出た人はやはりちょっと違いますね。たとえば渋谷の映画館『ライズ』(東京都渋谷区)で有名な北川原温さん(東京藝術大学教授)などはものすごくアーティスティックな建築を造っておられますよね。でも、そういう建築でも構造は構造家にちゃんと頼んでいますから、成り立っているんです」

「『まず形があって、次に構造がある』という意味では、安藤忠雄さんも構造家泣かせの建築家といえます。代表作『光の教会』(茨木春日丘教会、大阪府茨木市)では、壁全体に十字型のスリットが入っているでしょう。あれは一見すると簡単に造れそうですが、構造的には上の左右2枚の壁は尋常ではないんです。重たいコンクリートの壁が上から垂れ下がっていて、下から支えるものが何もないわけですから、よほどのことをしなければ安定しません。ですから、見えないところで構造がすごく力を発揮しているわけです。このことは僕も建築家に教えられて初めて知りました」

なるほど! 私たちこそ、川畑さんのような人に教えてもらわなければ、そうしたことには気づきません。建築と一般人の間の橋渡し-それが「建築ウォッチャー」の役割りといえるでしょう。




普段はデザイナーの立場で出版物の製作に関わる川畑さんですが、建築に関する本を企画し、プロデューサー的な立場で世に出した経験も持っています。1994年刊行の『建築MAP東京』と1998年刊行の『建築MAP京都』(ともにTOTO出版)です。まずは名著『建築MAP東京』を企画したきっかけから聞きましょう。

「デザイン事務所勤務時代に、雑誌の巻末などに付ける地図をよく担当していたんですよ。そのおかげで地図作りを楽しめるようになりまして、それを趣味の建築ウオッチングに応用して、勝手に東京の建築マップを作っちゃったんですね(笑)」

「理由は、建築関係の出版社が満足のいく地図を出してくれないから。出したとしても、守秘義務のために住宅作品が載っていなかったり、ベースの地図の精度が粗かったりで。そこで友人の建築家にいろいろ教えてもらって、自転車で走り回りながら現地を訪れて住宅地図に落とし込み、それを基にマップを作りました」

独立後も川畑さんの建築マップ作りは続きました。地図を描いてジャンルごとに建築をマークしたA3サイズの薄い方眼紙が、20〜30枚も重なっている体裁だったそう。デザイナーの腕で作るわけですから、さぞかし美しいマップだったことでしょう。

「それを持って『こういうマップを出版しませんか』と、建築関係の出版社にプレゼンをしたんです。どこからも色よい返事をいただけませんでしたが、ようやくTOTO出版が『作りましょう』と大英断をしてくれて、『建築MAP東京』が世に出ました。掲載している建築の一部には個人の住宅もありますが、了解をとる仕事は編集部にお願いしたので、信じられないくらいの数の物件が載っています。これこそが僕が欲しかった建築マップなんですね」

『建築MAP東京』は、シリーズの中の一冊としての刊行だったため、デザインは故・秋田寛さんが担当し、川畑さんは企画者・監修者という立場で関わりました。刊行当時、この本は大きな話題となり、雑誌などでも頻繁に紹介されました。その結果、現在13刷を重ね(2014年1月時点)、建築関連書では異例の累計10万部突破を達成。また2003年には改訂版が、2004年には新書サイズの『建築MAP東京mini』が刊行されています。

「僕は建築の基礎的な勉強をしていませんから評論はできません。あくまでも建築の一ファンです。そこで、ファンでありデザイナーであるという立場から建築にアクセスする方法を考えたときに、マップなら作れると思ったんですよ。『僕と建築との接点がここにある』と。僕自身は建築家にはならなかったけれど、二次元のマップなら作れます。さすがに建築家はここまでできないでしょう(笑)」




続いて4年後に刊行された『建築MAP京都』は、建築に対する川畑さんの視野を広げる出版物になりました。ずっと現代建築を追いかけてきた川畑さんですが、この本の製作を機に、近代以前の歴史的な建築にも目を向けることになったのです。

「出版社の意向で京都版には歴史的な建築も入れようということになって。叔母が京都に住んでいたので、僕は学生の頃からよく京都に行っていたんですね。でも当時は若かったから、お寺などはあまり興味を感じず、見ていませんでした。それがこの本を機に徐々に興味が湧いてきて、今ではだいぶ傾倒するようになりましたね。『昔のものもいいなあ』って」

「歴史的な建築には、当時としては最先端のアイデアが入っていたりして、実は現代建築に負けないくらい『とんがってる』んですよ。たとえば千利休の茶室など、常に目新しい美しさを提示し続けたわけです。いまだに古さを感じさせないし、『現代建築よりもカッコいいんじゃないの?』といいたくなるくらい、すごいアイデアが盛り込まれています」

この『建築MAP京都』では、川畑さんはデザインも手がけました。『建築MAP東京』との最も大きな違いは地図の扱いです。

「『建築MAP東京』の地図は通りなどのエリアで分かれていますが、『建築MAP京都』では大きい地図を分割して掲載して、ページの流れを追うことでそこに行けるようにしたんですね。これがとても大切なポイントなんです。東京版のデザインも素晴らしかったけど、こちらはまったく対照的な発想。そもそも京都の街自体がグリッド(方眼)ですから、エリアだけ抜き出す方法は馴染まないんです」

「歴史的な建築に関しては、当時はまだまだわかっていませんでしたから、専門家に入ってもらって編集しました。デザイン上の工夫としては、建築のタイトルやデータの入る色帯の濃度を、若く明るい感じの色ほど最近の建物で、黒ずんでくると古い建物というように、3段階で変えています。これは本当に『使える』地図だと思いますよ」

京都にはまた、建築以外にも川畑さんの興味を引くものがたくさんあるようです。

「僕は路地も大好き。学生時代から京都の路地に魅力を感じて見て回っていたんですよ。僕にとっては京都自体が『日本語の通じる外国』という感じです。文化の層がすごく厚く重なっているじゃないですか。何回行っても飽きません」

東京の建築を自転車で見て回り、京都の路地を散策する。これはもう、そのままOVE散走です。次は川畑さんとOVE散走との関わりについて聞くことにしましょう。




「建築に詳しい知り合いの女性がOVE南青山で仕事されていたことがあって、『散走という企画があるから講師をやってみない?』と、彼女が誘ってくれたんですよ」

偶然のつながりから始まった川畑さんの「建築散走」は、3年ほどの間に30回近く開催され、すっかりOVE散走のレギュラーイベントになりました。

「よく建築散走の講師に推薦してくださったと思います。本当にありがたいですね。僕は昔、自転車が大好きで、学生時代はロードバイクに乗っていたこともありました。ハードなサイクリングじゃなくてポタリングのような感じ。その流れで自転車に乗って建築を探すようになったんです。今は散走以外ではもっぱら歩いて回っていますが」

「散走では回を重ねるうちに、やっぱり地図があったほうがいいだろうということで、マップを自作して参加者にお渡しするようになりました。行ったという記憶だけで終わってしまうともったいないし、まあ『記念品』だと考えていただければ」

建築も地図もオーソリティの川畑さんだけあって、散走マップは毎回工夫が凝らされており、参加者たちの楽しみにもなっています。毎回のテーマに沿って具体的な建築を川畑さんが選び、走るコースはOVEスタッフが協力して設定します。

「たとえば先日開催した『フランス建築散走』では飯田橋のアンスティチュ・フランセ東京(旧・東京日仏学院)やアテネ・フランセを見てから、お茶の水を通って浜離宮のほうまで行って帰ってくるというコース。他の散走に比べてあまり長距離を走らない建築散走としては珍しく走りましたね(笑)。アンスティチュ・フランセ東京とアテネ・フランセは、現代建築の巨匠ル・コルビュジエの日本人の弟子、坂倉準三と吉坂隆正による建築という点でとても重要です。特にアテネ・フランセ。この建築にはコルビュジエのアーティスティックな一面が色濃く出ています。彼は工学的な発想で画期的な建築を作りましたが、名作『ロンシャンの教会』のように、晩年はどんどんアートの方向に変化していきましたから」

「日本にある唯一のコルビュジエ作品として上野の『国立西洋美術館』が有名ですが、コルビュジエ本人は基本設計という関わり方なので、実質的には弟子たち(坂倉準三、前川國男、吉坂隆正)の作品といったほうがよいのかもしれません。でも逆に、そういう作り方ができるのが現代建築のすごいところだとも思います。日本の狩野派の絵にしても一人の作品じゃなくて、工房全体で製作したわけですよね。それと同様の作り方が現代建築でも成立する、と考えることもできます。もちろん最終的にはコルビュジエという個人に帰するわけですが」

こうした話を聞くだけでも建築の奥深さがわかり、知的な興味もわいてきます。奥深い世界だからこそ、川畑さんのような立場の人が必要なのだともいえます。もっとも、建築散走を難しく考える必要はありません。道すがら、おもしろい建物があればどんどん寄り道もしますし、昭和の看板建築を味わうといった路上観察的な楽しみも随所に散りばめられています。

「看板建築は大好きです。あれがまたかわいいんですよね(笑)。当時の職人さんが一所懸命考えて、いろんな意匠を散りばめているから。建築家ではない人たちが作った世界というのはものすごくおもしろい。実は地震対策などの影響で、むしろ現代建築のほうが寿命が短い傾向があります。だから散走では、ちょっと古い建築を楽しむ機会もかなりありますよ」




インタビューの最後に、川畑さんは「こんな本も出したんですよ」と、一冊の小さな書籍を見せてくれました。『光のタトゥー/東京乱反射スケープ』という本で、著・装丁・レイアウトは川畑さん自身。ビルなどの建築に映る反射光をとらえた写真集です。写真もすべて川畑さんが撮影したもの。しばし話を忘れて、そのアイデアの閃きに感じ入りながら美しい写真を眺めました。

「建築を探して街歩きしていると、こういう風景が目に入ってきちゃう。勘がいいとか注意力があるとかではなくて、向こうから『呼んでくれる』のかなと思うんですよ」

小さなビルに映った宝物のような光をとらえた写真もあれば、高層ビルからの反射光が都心の神社に降り注ぐスケールの大きな写真もあります。巻末には「中野サンプラザ」を移動する光の模様を定点観測的に記録した写真も掲載されています。発行は2005年で、現在は新刊流通はしていませんが、インターネット書店などで購入することが可能です。

「反射光の存在は、だいぶ前から気になっていました。こういうことは街歩きしていないとできないし、ある意味で『馬鹿』じゃないとできません(笑)。定点観測では寒空の下、震えながら立って5分ごとにシャッター切ってるだけですから。もう本当に病気ですよね(笑)」

いえいえ、その好奇心と実行力こそが建築ウォッチャーにして街歩きの達人の本領であり、川畑さんをOVE散走の講師にも導いた、類まれな「才能」なのだと思います。これからもたくさんの発見をして、私たちにいろいろなことを教えてほしいと心から思います。

近影

かわばた・ひろや
グラフィックデザイナー、「カワバタデザインオフィス」主宰。自他ともに認める大の建築好きで、東京都内をはじめ各地の建築を巡っている。建築家や建築関係者との交流も広く深い。建築関連ではwebサイト「All About」のガイドを務めるほか、書籍『建築MAP東京』『建築MAP京都』(ともにTOTO出版)などの企画・監修、雑誌コラム執筆など精力的に活動中。

Photo:GOTO AKI

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