OVE

「料理もプロフェッショナル!」な異色のチェリスト 大前知誇さん


OVE南青山の人気イベントの一つに、大前知誇さんの「旅する音の輪舞曲(ロンド)」があります。フランスへの音楽留学経験や数々の受賞歴を持つ、チェリストの大前知誇(ちか)さんによるレクチャー型のクラシックコンサートで、初心者が気軽に楽しめるようにと、音楽や楽器の歴史・秘密・エピソードなどを交えながら楽しく進行します。でも人気の秘密はそれだけではありません。なんと演奏終了後には、大前さん自身が調理したフランス仕込みのお料理を味わえるのです。

実は、大前さんはプロの演奏家であると同時に、フランスで修行した料理家でもあります。だからこそ演奏者と聴衆が同じテーブルで話に花を咲かせられる、この楽しいコンサートを企画できるのです。とはいえ音楽と料理は、言うまでもなくそれぞれに奥が深く、勉強と経験を要する分野です。大前さんはどのようにして、この難しい「二足のわらじ」を実現するに至ったのでしょうか。いつも笑顔を絶やさず元気いっぱいの大前さんに、その経緯をうかがいましょう。まずは幼少時のお話から。

「出身は広島県です。父が画家で、取材などで各地に出かけることも多かったため、姉と私をしょっちゅうに旅行に連れて行ってくれました。クルマで日本各地を旅したり、父が長くフランスに住んでいたこともあって海外にも頻繁に行ったりしていました。ヨルダンとか、かなり珍しいところにも観光に行きましたよ(笑)。そのせいか、海外留学するときもそんなに怖いとは思いませんでした。フランスのパリにも行ったことがありましたし。小さい頃に行ったことのある場所って安心感があるんですよね、大きくなってから初めて行くのに比べると」

「母は洋服のデザイナーでした。オートクチュールのお店をずっとやっていて。アーティスト一家とまでいえるかどうかはわかりませんが、両親が特殊な仕事に就いていることは子供心にも認識していましたね」

家にピアノがあったため、大前さん自身は幼い頃からピアノに親しみます。また、のちに出身校となる桐朋学園の「子供のための音楽教室」に4歳のときから通い、音楽の基本を身につけていきます。チェリストへの道もその延長線上にありました。日本のクラシック音楽教育に大きな足跡を残したチェリストの齋藤秀雄(故人)が広島で熱心に指導を行った関係で、広島には優秀なチェリストを育てる土壌があったのです。

「とはいえ『見出された』というようなものではなくて、本当に偶然なんですよ。たまたまチェロをする子供が一時的に少なくなっていたところに、好きになれなかったヴァイオリンをやめてぶらぶらしていた私の手が、体が小柄なわりに大きいからということで音楽教室の方が『やってみないか』って」

「ヴァイオリンは、立って演奏しなければいけないというのがとにかく嫌だったんですよ。『なんでずっと立ってなきゃいけないんだろう』と思って。でもチェロはチェロで女の子なのに足を広げて弾くし、母親も最初は『ええっ』とか言ってたんですけど、『ぜひやるといいですよ』とまで言われると、親というのは単純なもので(笑)」

このとき大前さんは小学校3年生。以来、大前さんはずっとチェロを引き続けています。大前さんが考えるチェロの魅力とは何でしょう。

「チェロの音は人間の声にいちばん近いんです。ちょうど『男性のテノールくらい、やや低めの女性の声』と同じ音域の音といわれています。ヴァイオリンは高すぎて人間のナチュラルな声とは離れているし、コントラバスは低すぎます。それに比べてチェロの音は、とても人間に近いんですよ」

「チェロは途切れることなくやっていますね。中学受験のときもチェロだけは休みませんでした。今、自分が子供を教える立場になって思うのは、才能というものは存在するけれど、それは弾けない子が一瞬で弾けるようになるといったものではなくて、少なくとも最初は『毎日切れ目なく続けられること』が才能、ということ。やっぱり子供にとって練習はつらいものですから。続けているうちに音感があるとか、指がよく回るとか、他の子よりちょっといいという部分は出てくるかもしれませんが、それでも練習しないと上手にはなりません」

「私も子供の頃、土日はいつもレッスンのために空けておいて、友達と遊びに行くということもあまりなくて。ヴァイオリニストの友人は家族旅行のときもヴァイオリンを必ず持っていったそうなので、みんな同じだなあと思います。ただ私なんかは『チェロは大きいからクルマに載せられないよね』とか言って置いていったこともありますけど(笑)」

話しぶりからも察せられるように、大前さんはとにかく明るい人です。そして明るい中に、しっかりとした芯の強さも感じられます。その強さが最も発揮されることになるのは、音楽と、料理をも学ぶことになるフランス留学時代です。その頃のお話をうかがいましょう。




「音楽の勉強では3か国に行きましたが、いちばん長く滞在したのはフランスで、7年間いました。フランス語はほとんどできなかったので、日々の実地で身につけるというか。私一人だけ、みんなが何を言っているのかよくわからないという状況が何か月も続きました。音楽に関しては単語が共通していますからだいたいわかるんですけど、向こうの人たちは年齢が若くても、雑談で政治や宗教などの難しいことを真剣に話すんですよ。だから日本人の私はついていくのが大変でした」

「あと、何も言わないでいると、それで満足していると思われてしまいます。黙っていて察してくれる文化ではないので、こちらから言わないと私が何をしたいのかをわかってもらえません。だから私も思ったことは何でも言わないと、と思うようになって、逆に日本に帰ってきたら毒舌キャラみたいになってしまうことも(笑)。私、『間違ってはいないけど、ここでそれを言うか?』みたいなことを、ときどき言うらしいんですよ(笑)。昔からそういうタイプだったわけではないので、海外にいる間に徐々に変わっていったみたいです」

フランスでは、ともに学んでいる学生たちはコンクールのときこそライバルになりますが、普段は切磋琢磨する仲間という意識でつきあっていたともいいます。とても充実した音楽生活だったことがうかがえます。ところが留学期間も終わりを迎える頃、大前さんの生活にとても大きな別の要素が入り込んできました。料理です。そもそも、なぜ料理だったのでしょう。

「料理には親しみがあったんですよ。15歳のときから親元を離れて東京で暮らしていたからちょこちょこ料理もしていましたし、小さい頃はフランス在住経験のあった父がフランス料理を作ってくれることもありました。母が忙しかったので、行きつけのビストロで家族で食事することも。それでも、料理に興味はあったんですけど、本格的にというほどではありませんでした」

「それが、フランスで音楽の勉強も一段落して卒業試験を待つばかりだった頃、料理を習いに行ってみようかなと思ったんです。どうしてもパリにいる間にフランス料理のソースの秘密を知りたかったんです。トロッとしていて、ほんの少しなのに旨味たっぷりで、いったいどうやって作るんだろうとずっと不思議に思っていたので。そこで近所のマダムがやっている家庭料理の教室に行ってみたんです。でもそこではごく簡単な料理ばかりで、ソースの秘密まではわからなかったんですよ」

そこで大前さんは、パリの一流ホテルとして知られる「ホテル・リッツ・パリ」の地下にある料理学校に通うことにしました。それは1週間ごとにコースをとれる一方で、平日の5日間はみっちり料理を勉強するという、なかなか厳しい学校でした。

「初級コースは初心者向けですが、ジャーナリストなど料理に関わる仕事をする人や海外のレストラン関係者も通うようなところでした。料理だけでなくお菓子のコースもあるし、ワインやフラワーコーディネイトなど、料理に関するあらゆることを勉強します。なかなかハードな修了試験もあるんですよ。この学校に行ったことで、ソースの秘密がやっとわかったんです」

「それで休みのたびに次のコースに進んでいったらだんだんおもしろくなって、初級を終えたときに一念発起して、もっと上のクラスに入って長いスパンでやってみよう、もっとフランス料理を覚えたい!……と思ったんです。母に相談したら、今しか行けないし、やる以上はきちんとしたことを本場のプロに習ってきなさいということで」

問題は料理と音楽の両立です。大前さんはどのようにそれをこなしたのでしょうか。

「チェロの先生には当初、料理をやっていることを黙っていました。コンサートはよく土日にあるので大丈夫でしたが、平日は大変でした。午前8時半から午後2時半まで料理の実習があって、午後6時から料理の理論の授業があるとすると、その間の数時間で家に帰ってチェロを持って先生の家に行き、レッスンを受けてまた戻って……みたいな生活。それを続けていたらギブアップ寸前になってしまって、結局チェロの先生にカミングアウトしました。『実はフランス料理やお菓子の勉強もしているので、レッスン時間の調整に協力してください』と。そうしたら『なんで言わないの? おもしろいことやってるのに』という反応で、『ええーっ。いいんですかあ!』みたいな(笑)。日本のこともよくご存じの先生でしたから、『君のようにいろいろなことのできる人がいたほうが、これからの日本の音楽界のためにもいいのではないか』と言ってくださって」

まさに「案ずるより産むが易し」です。チェロの先生の理解も得られ、「二足のわらじ」の準備は整いました。




大前さんはさらに料理のキャリアを積むべく、料理学校のあるホテルのレストランでの仕事に挑みます。学校とは廊下を挟んで向かいにある場所でしたが、そこはすべてが違う「現場」そのものでした。

「料理学校の全コースを終えると、ホテルのレストランで研修ができるんです。はじめは無報酬ですが、学校でやったことは基礎的なもので現場では通用しないことがわかっていたので、今生きている現場で切磋琢磨するべきだと思いました」

「学校とレストランは廊下一本隔てただけでも天と地ほどの差がありました。ユニフォームをポンと渡されてレストランに放り込まれるんですけど、大勢いるのに誰も私のことなんてケアしてくれないんです。そこは日常の仕事場で、一刻も早くランチの仕事を終わらせてディナーの準備をしたいというような人たちばっかりですから、何も知らない新人に教える暇なんてありません。それで気持ちが萎えてしまう新人も少なくないんです」

「させられる仕事も、ホテルですから普通の量じゃなくて(笑)。『トマト300個を湯むき!』とか、『200個のゆで卵の殻をむけ!』とか、『寸胴鍋いっぱいに茹でたグリーンピースの皮と実を分けろ!』とか。どれも大変なんですよ。でもそれが終わらないと次の仕事をもらえません。新しいことを何ひとつ覚えられないんです」

途方もない量の仕事に対して、大前さんは「異常な速さでこなす」という方法を編み出しました。すごいファイティングスピリットです。

「たとえばゆで卵をむくのでも、両手に1個ずつ持ってバーンと押しつけてグリグリっとやると、ズルッときれいにむけるんですよ(笑)。容器に入れる動作を入れても2個で10秒くらい。あっという間に終わるんです。すると『もう終わったの? じゃあトマト300個、湯むきしてね』。それをひたすら地道にやっていると、『この子は早くできる』と思ってもらえるようになり、クラブハウスサンドイッチを作るなど重要な仕事も少しずつ与えてもらえるようになって、ついには星付きレストランで仕事ができるようになりました」

男性が多く、荒っぽいスラングも飛び交う現場で、大前さんは徐々に信用を得ていきます。シェフに気に入られるようにもなりました。そしてレストランの一通りの部署を経験し終えたとき、もっと長く働かせてもらえるようにシェフに頼み、了解を得ます。

「遠からず日本に帰る日がやってくるわけですから、それまでに全部身につけないともったいないと思ったんですよ。ディナーのサービスは午後11時半頃までですから肉体的につらいことも多いけど、昼のサービスと夜のサービスは全然違うし、朝から晩まで働いていないとわからないことが多いんです。だから一日中いていいですかとシェフにお願いして」

日本人の働き者ぶりに、シェフもさぞ驚いたことでしょう。

「そうかもしれませんね(笑)。でも向こうの人って言葉が完璧には通じなくても、見るべきところは見ていてくれます。だからこそ諦めないで、何でも一所懸命やる、最後まで手を抜かないでやるというのがいちばん大事だなと思いましたね。そうすれば何でも伝わるというか」

「二足のわらじ」を見事に両立する大前さんのバイタリティの源泉は、人を信じる力にあるのかもしれません。でもそれだけではないでしょう。場を見極め、自分を主張しながら、相手が信じてくれるだけのことを自分が先にするという、人に働きかけるパワーのようなものを、きっと大前さんは生まれながらにして身につけているに違いありません。




ところで音楽と料理という2本の柱は今、大前さんの中ではどのようなあり方なのでしょう。まったく別個に立っているのでしょうか。あるいは両方が影響し合っているのでしょうか。

「当然、影響し合っていますよね。ヨーロッパでは、料理の発展と音楽の成熟はある意味で重なり合っているんです。ともに宮廷の中にあったものがだんだん民衆のほうに移行していくという、同じ過程を経ているんですね。だからすごく密接な関わりがあるし、音楽を聴く、料理を食べる、ワインを飲むといったことが昔から一つの流れの中にあることは、歴史を見るとわかります」

音楽も料理も、フランスもしくはヨーロッパの伝統的な生活文化の中心にあるものです。料理の勉強を通じてヨーロッパ文化への理解を深めたことによって、音楽にもよい影響があったそうです。

「音楽は耳で聴くものですが、結局は五感を刺激する音楽でなければ、聴いている人もおもしろくないと思うんです。目を閉じて聴いていると何となく音楽の色味のようなものが出てきたり、香りはしないにしても音楽の空気感みたいなものが感じられたり、そうしたことは楽譜を見て弾いてということだけでは、たぶん養われないものなんですね」

「音楽にはその人の人生が出ます。それも、歳をとればとるほど出てきます。音を聴いていると、人となりがわかるんですね。料理も同じで、優しい味の料理を作るシェフは繊細で温厚な人柄だろうし、斬新で鋭角的な味のシェフはアグレッシブな人だったりとか(笑)。音楽も料理も自分で表現するものなので、ダイレクトに出やすいと思うんです」

今、大前さんは「音楽と食のコンサート」に力を入れています。冒頭で触れたOVE南青山の「旅する音の輪舞曲」もその一環です。音楽も料理も大前さん自身によるものなので、コンサート当日は極限的に忙しいようです。

「問題は、なぜそんなに忙しいことをわざわざするのか、ということですよね(笑)。別に音楽だけでもいいわけですし。クラシックのコンサートって、東京だけでも一日に何十件とあるんです。でもクラシック音楽のコンサートというだけでは敷居が高いとか、難しいとか、なかなか来てもらえない若い世代にこそ、私は来ていただきたいし、クラシックを知っていただきたいんです。そういう方々にとって、ワインがあって料理もあって、コンサート後にそれを介してみんなでお話ができるというのは、とてもよいきっかけになると思います」

「なにより、マイクを通さない弦楽器のパワーや音を、CDではなく生で実際に体感してもらいたい。そのよさを少しでも感じてもらえたら、と思うのです。なにしろ500年近く変わらない楽器、200〜300年愛されている音楽なのですから」

クラシックは知れば知るほど奥深く、一生の趣味にもできる音楽です。それがわかっていても、どうも敷居が高い気がして……と思われる方は、ぜひ大前さんの「音楽と食のコンサート」に足を運んでみてください。きっとクラシックを聴くための「取っかかり」がつかめるでしょうし、大前さんの八面六臂の活躍を目にするだけでも、バイタリティを分けてもらった気分になるに違いありませんから。

近影

おおまえ・ちか
チェリスト&料理家。桐朋学園大学音楽学部を卒業後、ニューヨーク、ドイツ、フランス(パリ)と計8年間にわたる海外生活とコンサート活動を経て帰国。2002年、イタリアのルイージ・ラッコニージ国際コンクールにて第2位入賞。2004年、デビューCD『Poésie』をリリース。また音楽活動のかたわら、パリの「ホテル・リッツ・パリ」内にある料理学校「エコール・リッツ・エスコフィエ」にてグランド・スーペリオール・ディプロマを取得し、同ホテルのメインキッチン等で料理・製菓の研鑽を積む。現在は国内外のコンサートへの出演のほか、「音と食のコンサート」の企画・主催、雑誌へのエッセイの寄稿など、多方面で活躍中。

Photo:GOTO AKI

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