OVE

ブックディレクター 幅 允孝さん


すべての「本棚」には個性があります。誰かにとって思い入れたっぷりの本を集めた本棚はいとおしく濃厚で、仕事の資料が押し込まれた職場の本棚はちょっと味気なく感じられるものです。本棚のキャラクターは、どんな本が連なっているかによってずいぶん変わります。1冊の本が書き手の考えや取材の結果などを「編集」して作られるように、本棚も収める本をどう選ぶかによって「編集」されるのです。この本棚の編集(=ディレクション)、すなわちブックディレクション(選書)を仕事とするのが「ブックディレクター」であり、幅允孝さんはその第一人者です。本好きなら誰もが興味を持つこの仕事に就いた経緯から聞きましょう。

「大学卒業後に初めて就職したのが青山ブックセンター六本木店という書店でした。エプロンをして、商品選定もするし検品もする、レジにも入るという、いわゆる書店員です。担当していた売り場は、建築の本やグラフィックデザインの本の棚でした。当時は本棚を編集するといった意識まではありません。でも、そのきっかけとなるようなことはありました」

「たとえばレベウス・ウッズという、技術的には実現できない壮大な建物を描いたアメリカのペーパーアーキテクトの本。僕は彼の作品集を見たとき、建築としてよりも絵としておもしろいと感じました。そこで『グラフィックの視点で見たらおもしろいのではないか』と思って、彼の本を建築の棚からグラフィックデザインの棚に移してみました。するとおもしろいことに、建築の棚では売れなかったその本が売れたんですよ。つまり同じ本であっても、置く環境や、隣に何が並んでいるかによって伝わり方が違ってくるということです。その発見をきっかけに、自分のできる範囲で本を組み合わせたりシャッフルしたり、そういうことをやってみようと思い始めたんです」

それが2000年頃のこと。当時、幅さんが勤務していた書店では社員が責任を持って各自の売り場を担当しており、“棚を手塩にかける”ような感覚で仕事をすることができました。そうした環境のもと、幅さんは本に関する最も重要なことも同時に学びます。それは、「本は売れない」という厳然たる事実でした。

「年間に7万点以上もの新刊が出る日本では、僕が『この本、いいな』と思うような新刊が出ても、なかなかお客さんには届きません。売り場でその本を見つけてもらい、手にとってもらうだけでも大変です。ましてやレジに持っていってもらい、並んでお金を支払ってもらうのは、ほとんど奇跡に近いことなんですね。そういう、本を売ることの困難さを書店の現場ではいちばん学びましたね」

幅さんがそうした日々を送る間に、書店の世界に大きな変化の時が訪れます。日本にもインターネット書店の「Amazon」がオープンしたのです。それを境に本を取り巻く状況は一変し、リアルな書店に来る人の数が目に見えて減少しました。幅さんは「ヒリヒリした皮膚感覚のような危惧を覚えた」といいます。それが現在の幅さんの基本スタンスに直結しています。すなわち、

「人が本屋に来ないのなら、人がいる場所に本を持っていこう」

時間の余裕がないためか、座ったままで買えるという利便性に押されてか、多くの人々が「本を検索する・買う」という行為に関してはインターネット書店を優位と見なすようになりました。ところがそのことは、実は「リアル書店で本と偶然に出会う」という貴重な機会を人々が自ら捨てたことも意味します。それが時代の流れであるならば、逆に「本を持っていくことで出会ってもらおう」と幅さんは考えるのです。




書店員からブックディレクターへの幅さんの転身には、ある幸運な出会いが関係しています。本に詳しい若い人材を探していた名編集者の石川次郎氏(元マガジンハウス)が幅さんに目をとめ、六本木ヒルズの「TSUTAYA TOKYO ROPPONGI」オープン時の選書担当に幅さんを起用したのです。このとき1万5000冊を選書したのがブックディレクター・幅さんの第一歩でした。そして現在、自らの会社「バッハ」を立ち上げてスタッフとともにブックディレクションを行う幅さんは、自分たちが「本を持っていく場所」を、より広くとらえるようになったといいます。

「本好きが来るような洒落たお店の仕事にもやり甲斐はありますが、最近僕が本を持っていきたい場所は、どちらかというともう少しアウェイ感が強いといいますか(笑)、“容赦のない”場所なんです。たとえば病院の入院患者向けライブラリーの仕事では、『木村伊兵衛のパリ』という写真集を置いても、最初は木村伊兵衛の『き』の字も伝わりません。でも、ちゃんと丁寧に本を差し出すことで『ああ、おもしろいなあ。足を治してもういっぺんパリに行きたいなあ』と言ってくれる人も出てきます。書店で学んだように、僕は『人は本なんて手に取らない』というところからスタートしていますから、本好きではない方々に対して『どうしたらもう一度、本を染み込ませることができるのか』みたいなことを、最近は特に考えるようになっていますね」

たとえば保育園のライブラリー構築で子どもを相手にするときなどは、“容赦のなさ”が最高潮に達するようです。なるほど、少しでも「つまらない」と感じたら子どもは本を放り出してしまうでしょう。しかしそうした仕事にこそやり甲斐を感じると幅さんはいいます。また、病院のライブラリーの仕事では、考えることや学ぶことがたくさんあるそうです。

「病院では読者の持久力が重要視されます。最初は、ずっと仕事をしてきた人が入院するとスペアの時間が増えるから、これまで読めなかったような大きな物語などを読んでもらいたいなと考えました。たとえば司馬遼太郎の作品のような。でも入院されている方の場合、長い文章を読むのが大変という方も多いんですね。脳卒中専門の病院になると、下敷きを当てて一行一行読み進めていかなければならない方もおられますし。ですから、どこからでも読み始められて、どこで止めてもいいような本のほうが適している場合が多いんです」

「ただし病院にかぎらず、僕としては最初の1文字から最後の1文字までを読まなければならないということではなくて、本で得た情報が日常生活のどこかの側面に少しでも作用して、その人の日々が面白おかしくなることのほうが重要だと思っています。読むこと自体が目的なのではなく、また全部読むことが大切なのでもなく、たった1行、あるいは1文字でもいいから、その人がよく噛んで血肉にできるような言葉や情報があることのほうが、僕は大切だと思う」

「読者にとって、自分の中に深く刺さっている本が1冊でもあれば、それでいいと僕は思うんです。ピアニストのグレン・グールドが亡くなったとき、枕元にあったのが聖書と夏目漱石の『草枕』だったといいます。『草枕』は芸術論としても読めるんですけど、グールドは20年以上ずっと読み重ねていたらしいんですよ。それはある意味ですごく幸せな読書なんじゃないかと思う。だいたい本なんて読んだ端から忘れていくものですから、忘れないものがどれだけ蓄積するのかのほうが重要ですよね。忘れないと次の本が読めませんし」




「OVE中之島」のライブラリーを作ったときのお話もうかがいましょう。どのような本をキーにして本棚を構築したのでしょうか。

「OVE中之島はとにかく特殊ですよね(笑)。商業施設内の空間ですが、商業的なことよりもOVEのコンセプトを伝えることを目的としたいということでした。本が本棚に連なると、独特のアトモスフィア(空気)やキャラクターが出てくるものです。本棚の雄弁性ですよね。たとえばガールフレンドの本棚を見て『この子はこんな感じなんだな』とか、友人の本棚を見て『コイツ大丈夫かよ』とか(笑)。つまり、本棚が語るものによってOVEという場所のキャラクターを表すこともできるということですね」

「ライブラリーの規模は250冊前後でしょうか。その中で自転車の本は当然キーブックになってくるわけですけれども、実は重要視したのは街歩きというテーマです。“街に留まる”感覚といいますか、クルマや電車だと完全に通りすぎてしまうようなものを『ちょっと留まって見てみる』という視点はどうかなと。OVE中之島で重要なのは自転車のギアの構成の話ではなく、『自転車に乗って何を見るのか、何を感じるのか』のほうではないかと思ったので」

「そこで、たとえばモデルの菊池亜希子さんがいろんな街を足で歩いて、自分でイラストを描いて『レトロすぎるゲームセンター発見!』みたいな細かいことを書いている『みちくさ』という本とか、レイチェル・カーソンが甥っ子と散歩しながら自然のすごさや不思議さを伝える『センス・オブ・ワンダー』などを選びました。普段は通りすぎてしまう、忘れてしまうようなものに対して立ち止まってみる、というような本ですね」

OVEの核心を押さえた、実に的確なセレクトではないでしょうか。「自転車そのものよりも、乗って何を見るかが重要」という発想は、「本を読むことが目的ではなく、そこから血肉になる言葉を得ることが重要」という前述のお話とも重なります。そしてさらにもうひとつ、幅さん自身と自転車にも大きく重なる点がありました。幅さんはもともと自転車の大ファンだったのです。

「ツール・ド・フランスが大好きで、ベルナール・イノーが鼻の骨を折りながら優勝したのをテレビで観てからというもの、ずっと追いかけてます(笑)。ランス・アームストロングが初めて勝った99年などはフランスに見に行ってましたから。シャンゼリゼのゴールも見ましたよ。ちなみに僕のヒーローはマルコ・パンターニ」

実家が有名な自転車店であるスタッフもいるなど、幅さんの会社はもともと「自転車にすごく強い」のだそうです。思えば本と自転車は、読む・漕ぐという自分自身の行為がすべての始まりになる点や、読むのも漕ぐのも基本的に自由である点、さらにはそこから豊かな世界が広がっていく点でも共通しています。幅さんとOVEは、実は自転車のワイヤーのように強い縁で結ばれていたのかもしれません。

近影

はば・よしたか
BACH(バッハ)代表。ブックディレクター。人と本がもう少しうまく出会えるよう、様々な場所で本の提案をしている。昨年、伊勢丹新宿本館B2F「ビューティアポセカリー」に本棚を設置。その活動範囲は、本の居場所とともに多岐にわたる。著書に『幅書店の88冊』や『つかう本』などがある。最近では『本の声を聴け ブックディレクター幅允孝の仕事』 (著・高瀬毅/文藝春秋)が刊行。
www.bach-inc.com

Photo:GOTO AKI

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