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“本物”を追い続ける サイクルフォトグラファー 砂田 弓弦さん


「あの時は衝撃で、足が震えました。」

そう語るのは、20代で渡欧してから約30年。今もなお、世界中の自転車レースを最前線で撮影し続ける、フォトグラファー砂田さんです。

足が震えるほどの衝撃…大学を卒業した年に渡欧し、本場ヨーロッパの自転車レースを目にした瞬間でした。それは、砂田さんのその後の人生をも決定づける、体験でもありました。

「当時の日本には、ヨーロッパをはじめとする自転車レースの情報はほとんど入ってきませんでした。自転車が好き。自転車レースが好き。そんな想いを募らせた私は、本物を見たい、という一心でイタリアを訪れたのです。その時、幸か不幸か、“本物”を知ってしまったのです。」

ただ、イタリアで体験した「本物」はプロの自転車レースではなく、日常的に行われているアマチュアのレース。走り抜けていく選手の汗や息づかい、そして空気を震わせるレースの熱気…プロさながらの迫力あるレースは、砂田さんの心に「本物」として深く刻み込まれました。

「私の場合は自転車でしたが、音楽や芸術など、本物に出会うこと、感動することはとても大切なことだと思います。そして、その頂きを目指す。これも私にとってはごく自然なことでした。」

本物を見た衝撃があったからこそ、自分が目指すべき目標を掴むことができたと語ります。それは、夢でもあり、理想でもあり、こうなりたいという強く、深い願望でもありました。こうして、砂田さんは家業の地質調査業を継ぐという安定した道から、自転車レースの世界に飛び込んだのです。

しかし、夢を追い求め飛び込んだその世界には、“下積み”という長く険しい道が続いていました。




「世界的な自転車レースを撮影できる公式カメラマンはおよそ300人。そのうちオートバイに同乗し、最前線で撮影できるのはわずか12人程度しかいないのです。」

平均時速約40~45kmで疾走するレーサーたちを撮影するには、オートバイに乗れてはじめて成立します。そして、その状況で撮影できるカメラマンはほんの一握り。
さらに、世界的な自転車レースに出場する日本人がいない当時は、公式カメラマンとしても認められていない状況だったそうです。

「イタリアやフランスなど、国にプロチームがあるカメラマンは、あらかじめ公式カメラマンとしての枠が用意されているのです。正直悔しかったですね。もちろん、目標はオートバイに同乗しての撮影ですが、まずはチームも選手も持たない日本人であってもカメラマンとして仕事をしていくために、国際基準で認められることから始めなければいけませんでした。」

しかしそれは、選手として大会に出場するよりも、ハードルが高いことだと砂田さんは語ります。なぜなら競技とは違い、明確な選考基準がないからです。
最初はレース会場に行っても撮影場所に入れてもらえない、といった屈辱的な扱いを受けることもあったそうです。

もちろん、その程度では砂田さんの情熱が消えることはありませんでした。
「どうすればいいか?」
自問自答する中でわかってきたのは、目の前に高い壁があるのなら、その壁を一歩ずつでも登っていかなければいけないということ。たとえ泥臭くても、夢とは程遠い地道な作業であっても、歩みを止めずに登り続ける。決してカッコイイと言えなかったな、と少し微笑みながら当時を振り返る砂田さんがそこにはいました。

「一人前になるには時間がかかる。だからこそ、人生を賭ける意味があるのです。」

仕事でもあり、人生でもある。その想いを持ち続けたからこそ、17年かけてようやくオートバイに乗ってレースを撮影する、というポジションまで辿り着いたのです。

「自転車が好きでこの仕事をやっているので、辛いとか諦めるという選択肢は私にはありませんでした。」




「よく考えればわかる話ですが、自転車レースの本場ヨーロッパで日本人である私をカメラマンとして起用するメリットなんて、ひとつもないんです。」

それでも世界で活躍し続ける砂田さんには、1988年のジロ(イタリア一周レース)で優勝した選手の、ある言葉が今でも忘れられないと言います。

「自分はアメリカ人だ。ヨーロッパにいて走ることはものすごく大事だけれど、自分は自分なんだ。ヨーロピアンではなくアメリカンなのだということを、強く自覚することが大事だと思う。」

「近年では、海外の文化に憧れるばかりで、日本人の良さに気づかないことも多いように思います。もちろん、私も本場であるヨーロッパに憧れた一人。それでも、こんなに犯罪が少なく、電車でもきちんと並び、落とし物が無事戻ってくる国は他にありません。そういう意味で、日本人の厳格さや礼儀や義理といった部分は、私のアイデンティティとして決して失われることはありませんでした。もちろん、仕事においても真摯に向き合いたいと今でも思っています。」

地位や名誉、そしてお金のため。
規則違反ギリギリの撮影をするカメラマンも海外には多くいるそうです。
ですが、砂田さんは、日本人の心をなくしてまで、成功したくはないと語ります。

「日本にも選手として頑張っている人はたくさんいるし、自転車レースの環境整備に尽力している人もたくさんいます。でも、じゃあどういう風にしたいのかと聞くと、誰も答えられない。なぜなら、日本人として、いち自転車レースに関わる者として、どうあるべきかという明確なビジョンを持っていないからです。」

本物を知り、かつ最前線で活躍する砂田さん。
そこには、現場に立ち続けているからこそ見出した、日本人として世界で戦う姿勢がそこにありました。




33年前にイタリアで感じた衝撃を胸に、理想を追い続けてきた砂田さん。そんな彼が歩んできた人生の先に何を見据えているのか。フォトグラファーとしての今後のスタイルについて伺いました。

「サイクルフォトグラファーとしての目標は、オートバイに乗った時点でクリアしていたと言っていいかもしれません。そこから、こんな仕事がしたい、あんな写真が撮りたいと考えるようになりました。気づけば10冊もの写真集を出版。今回出版するのは、文章を主とした取材記です。カメラのファインダーから見える世界を、写真だけでなく言葉でも表現する。これもひとつの節目なのかもしれません。実は、満足感もあり、いつ仕事をやめてもいいという心境にもなっています。」

意外とも言える発言の後に、砂田さんはこんなことも言っています。
「この仕事をしていると、世界的な大会でも、ほぼ常に選手と一緒に移動できます。レースの大興奮を、手を伸ばせば届く距離で見ています。自転車好きにとっては特等席ですよ。中毒にならないほうがおかしいです(笑)。」

砂田さんにとってレースの撮影は、もはや仕事ではなく人生の一部。
そこに表現されているのは、自転車レースの記録ではなく、人の感情や最前線にいる者にしかわからないリアルな空気感でもあります。

「自転車レースと聞くと、スポーツとしての自転車を想像されるかもしれませんが、自転車はとても立体的なものなんです。音や匂い、声援、熱…現場に立つことで、初めて伝わってくるものがあります。その街に暮らす人の想いや、その地域の文化も、自転車を中心に広がっていく。それが自転車の持つ力です。僕は、それを伝えていきたいんです。」

最後にもう一つ、砂田さんにとって「人生とは?仕事とは?」という問いをぶつけてみました。そのどちらにも砂田さんは「自転車です」と即答されました。
「毎年レースの年間スケジュールがきまっていて延々と繰り返してきた結果がこの30年でした。」
私たちに明日や来年が訪れるのと同じ感覚で、世界的なレースも砂田さんにとっては、日常の一部。歳月の流れとともに季節のように訪れる日々の営みでもあり、その積み重ねこそが、砂田さんが生きてきた人生の足跡なのです。

好きであること。それは自らの夢の原動力となり、社会を生き抜く武器となり、そして、人生を生きる意味となる。これは、砂田さんだけが特別なのではなく、私たちの誰もが持ち合わせているもの。夢は叶う、それをもう一度気づかせてくれた砂田さんは、今日も世界で自転車レーサーの人生という一瞬をそのカメラで収めていることでしょう。


近影

すなだ・ゆづる
1961年、富山市生まれ。1989年からイタリア・ミラノを拠点に自転車ロードレースを取材している。その作品は報道写真としては勿論、企業の広告等に用いられることも多く、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、ベルギー、イタリア、オーストラリア、日本など、多くの国で発表されている。

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