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軟派スタイル文化を創る ファッションディレクター 石津祥介さん


「過去を振り返ることはキライ。」
そう語るのは、今回ご紹介する石津祥介さん。お名前を聞いてピンときた方は、もしかすると若かりし頃に少しヤンチャされていたかもしれませんね。そう、石津祥介さんは1960年代のアイビールックの立役者でもあり、「VAN」の創設者でもある石津謙介さんのご子息です。

「先ほどの意味は、過去を否定するものではありません。ただ、私たちはいまを生き、未来に向かって進んでいく存在。それであるなら、過去は未来に突き進むためにこそ活かされるべきだと考えています。自分が体験したこと、すでに知っていることをただ思い出してもつまらないじゃないですか(笑)。」まっすぐ前を見据えた瞳で力強く語りながらも、肩肘張らない柔らかな物腰の石津さん。常に前へと歩みを進めてきた生き様が垣間見え、ますます石津さんの過去に興味が湧いてきました。
「いまを知るために過去を語りましょう。」そう笑顔で答えてくれた石津さんは、幼少時代のエピソードを語りはじめました。

「放任主義で、なんでも自分でやってみる。そんな幼少期を過ごしてました。」意外と言えば意外。
お父様の影響で、最先端のファッションに囲まれたサラブレットのようなクリエイティブな環境で育った姿を想像していたので驚きです。
「ヤンチャな子どもほど大人になると面白い人間になる。」ビルとビルの間をつたって、屋上までよじ登る…そんな危なっかしい遊びに夢中になっていた少年時代。時折いたずらっぽく笑う石津さんのルーツを感じずにはいられません。ユニークさとスマートを併せ持った芯のある男・石津祥介さんには、莫大な数の体験によって裏づけされた信念があるのでしょう。

そう、「ヤンチャ」とは、「悪さ」「不良」などを指す一般的な意味を越えた、筋の通ったライフワークでもあるのだと改めて感じました。




「新しいモノを発見するちから。それって軟派なんですよね。」
自分の中で生まれる「たのしそう!」と思う気持ちと、他者に対して「目立ちたい!」と欲する気持ち。「ヤンチャ」、そして「軟派」は、石津さんを知るための、ふたつのキーワードです。この二つの両立こそが、前に前に進み続ける原動力なのです。

「人とちがうということで自分を表現したいというのが、軟派の芯にある。」
「軟派は遊び。大体遊び感覚。目立ちたい、新しいことで注目を浴びたい。」
「おもしろそう!たのしそう!おいしそう!心が動いたら、迷わずやってみるんだよ。」

それは、アルバイトとして雑誌社の編集部で働いていた学生時代のエピソードからも感じられます。当時は編集部といっても、編集長と担当者の2人体制。免許があるというだけで運転手として重宝されたそうです。運転手を経て、構成などを任される主要メンバーとして活躍するようになり、当時通っていたデザインの専門学校を夜間部に変更し、昼は編集の仕事に熱中していきました。

「学校は学術しか教えてくれない。でも、メンズクラブの現場には本物がいたんだ。すべて自分で挑戦できる環境だった。毎日が、新しいものとの出会いの連続だよ。」専門家やデザイナーの先生が在籍していなかった学校とはちがい、メーカーの担当者やアパレルデザイナーが直々にスタイリングをする雑誌社での仕事は、体験の連続です。当時の雑誌制作の現場は今のように分業化されていなかったので、撮影物の調達から誌面の構成、撮影立ち会いからライティングまですべて任せられる環境だったといいます。毎日が新しいことの連続。すべては幼い頃のヤンチャを楽しむ好奇心の延長線上にあったのかもしれません。

「軟派ときいて、頭の中にカタカナのナンパを想像してませんか?わたしがやるのは、漢字の軟派です。」不真面目なナンパではなく、大真面目に軟派をやる。硬くならず、楽しむ余裕と柔軟さをもって…。それは、人の心を動かし、本能が求めるものを追い続ける、いわば芸術表現。その繰り返しの中で宿ったオリジナリティこそ、石津祥介流の「軟派」なのかもしれません。




学校で習う勉強は大嫌いだったと語る石津さん。しかし、小さい頃から絵が得意で、コンクールでは金賞を受賞するほどの腕前で、高校時代は芸大志望だったそうです。
「数ある芸術の中でも、目に訴えかける芸術に特に心を惹かれる。映像人間だからね。なんでも目から入る。」もちろん、知識や知恵を得るための学問は大切。でもビジュアル的芸術は人の心をONにすると語る石津さん。それは、自然とファッションの世界へ進んだこれまでの歩みにも重なります。

「誤解を恐れずに言えば、硬派は文明を、軟派は文化を創るんだ。」「好き」という気持ちを「軟派」な表現方法を介して発信していく。結局は、人の心が動き、体験を積み重ねる、そうした想いが文化を創り上げてきたのかもしれません。堅硬に理論立てる「硬派」、柔軟におもしろがる「軟派」。技術や経済の発展によって硬派の創りだす世界が広がりを見せる今の時代、軟派ができることが減ってきてしまったのかも・・・。これから、軟派には何ができるのでしょう。

「軟派はそれぞれの中に宿るものだから。やろうと思ったことをやるだけです。お手本を見せてもらうようなものじゃない」トライ&エラーを繰り返すことで、自分流の「軟派」を見つけ出し、研ぎすましていく。
「今日大切だ、と思っていたことも、明日になれば別のことが大切になっているかもしれない。」
それは常に出会いと体験を続けているからこそできる考え方。しかも、頭の中の在庫を見つめるよりも、毎日飛び込んでくる新しいものに出会う旅を楽しむ、石津さんの軟派スタイルはいまの時代に生きるヒントにもなるのではないでしょうか。




「洋服も自転車も、単なる物では価値がない。モノを通して出会いがあるからこそ、文化が広がるんだよ。」ファッションを通して、多くの出会いを経験してきた石津さんならではの視点なのかもしれません。OVEの考え方と、石津さんの「軟派」なスタイルには、「文化」という共通点があるように思います。

「OVEも私も、大衆を相手にしていない。同じ、軟派相手の商売だよ。」

本当に大切なことは、わざわざ考えなくてもわかる。それを実現させるのが、考える前に五感で感じる「軟派」の積み重ねなのかもしれません。知識や学術は、その内容が重要視されますが、文化においては「人がどう感じるか」「人がどう見たか」という点に価値があるのではないでしょうか。理屈っぽく、小難しく考えられたものより、楽しみながら創られたものにわたしたちは心を動かされます。石津さんの生き方は、まさに文化そのもの。規則や制限が次々と増える窮屈な時代に、この身ひとつでおもしろさを切り拓く、理想型を見せていただいた気がします。

「いつもオープンでい続ける。そして、新しいものに出会い続けること。」石津さんは今日も休まず、新しいものに出会い続けています。休みなくアンテナを張り続ける。これはとても体力のいることです。それを楽しめる石津さんだからこそ「文化」を創ることができるのでしょう。

なんだか毎日つまらない。
そんな風に感じたときには、こころに宿る軟派な一面を、少しだけオープンにしてみませんか?
毎日が少しずつ、変わっていくかもしれません。


近影

いしづ・しょうすけ
1935年岡山市生まれ。石津事務所代表。ファッションディレクター。
明治大学文学部(演劇科)中退後、桑沢デザイン研究所卒、。その後婦人画報社メンズクラブ編集部を経て、1960年(株)ヴァンヂャケット入社。企画及び宣伝部に主として携わる。1965年の写真集、「TAKE IVY」著者の1人でもある。日本メンズファッション協会の常務理事、日本ユニフォームセンター理事歴任、ボタンダウンクラブ主宰、VAN創始者石津謙介氏の長男。

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