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ブログでつづるTour de OVE

大型キャラバン隊もチームバスも上れないマンドのジャラベール坂

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マンドのゴールは飛行場の滑走路


マンドは中央山塊の激坂だ。ラスト3.5kmから2kmにわたって勾配値10.1%以上の上りが続く。残り2kmはほぼ平たん。最後の1kmは山の頂上にあるローカル飛行場の滑走路。その上にゴール地点を設営してしまったのだから、この日は終日飛行機の離発着はできない。

キャラバン隊も装飾を施したデカくて重い車両はマンドの激坂を上ることができない。隊の精鋭だけがマンドに集まった観客のためにゴールまでを行進する。それだけ厳しい上り坂だ。ボクも大観衆の中をかき分けるようにクルマを進めていて、残り4km地点に下界の教会や集落がきれいに見下ろせる場所があったのだが、ここで停車したら大観衆の前で坂道発進かい!と不安が頭を過ぎったので止まらずにゴールへ。何度も言うけどそれほどまでに激坂なのだ。


前夜はスーパーのフードコートで安価にお食事


ある年はマンドにゴールするステージで、チームバスがスタート地点で選手を降ろしたのち、マンドまで460kmの迂回コースを走らざるを得なかった。中央山塊は岩山ばかりで道路がそれほど多くない。バスは案の定ゴールに間に合わず、マンドの激坂のふもとに停車。選手たちはつまりゴールしたら逆走してバスに戻るハメになった。

早々にゴールした選手たちはすぐにUターンして下山し始めた。後続の選手たちが必死に上っているのに、である。最後尾がゴールしないのに表彰が始まることもある。ツール・ド・フランスはとても残酷だ。


夜通しで働く設営班は以前木陰で寝ていたが、今は寝台バスがある


マンドがゴールになったのは1995年が最初。以来2005、2010、2015年と西暦で5の倍数の年にゴール地点として採用されていた。5回目となる2018年はその法則があてはまらなくなってしまったので、ボクはちょっと残念だな。

1995年は7月14日、いわゆるフランス革命記念日にオンセ時代のローラン・ジャラベールが独走勝利した。その快挙を祝して、それ以来マンドの激坂は「ローラン・ジャラベール坂」と命名された。フランス勢にとっては勝たなければいけない伝説の地である。

地元フランス勢が最後に総合優勝したのは1985年のベルナール・イノー。すでに33年前のできごとで、つまり33歳以下のフランス人は自国選手が世界最高峰の自転車レースで総合優勝したところを見ていない。

この日もアスタナのオマール・フライレ(スペイン)が、残り2kmで逃げ続けていたトレック・セガフレードのジャスパー・ストゥイベン(ベルギー)を逆転して初優勝。総合成績では首位のゲラント・トーマスと総合2位クリストファー・フルームの英国・スカイ勢、同3位トム・デュムラン(オランダ、サンウェブ)が同タイムでゴールした。

フランス勢、がんばれ!(山口和幸)

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